死んじゃいけない。

先日、あまり機能していない学生時代のクラスのグループラインに投稿があった。

 

1つ上の学年の先輩が亡くなったそうだ。

 

 

目に入った途端は書いてある意味がわからなかった。
自殺や事故ではないそうだが。23歳。あまりにも若い。

僕は先輩と文化祭実行委員で同じであったが直接的なかかわりはなく、おそらく業務連絡で2、3言交わしたくらいだが、頭がよく器用で人当たりもよく、後輩からとても慕われていたのを覚えている。

 

時間が経過するにつれ頭が意味を理解していくのは感じるけれど、
虚無感でなにも考えられずため息をつくしかなかった。

 

僕よりも親しくしていた人はもっとつらいに違いない。
ああ、人が死ぬっていうのは、こんなにも重かったか。





自殺した後輩のことが蘇った。
彼はまだ17歳だった。気の弱い、とても真面目な男の子だった。

僕はテストのたび、彼に過去問を貸していた。僕も彼も部活に所属していなかったから、直属の先輩後輩がいない=渡す人がいない/貰う人がいないといった理由であり、ものすごく仲が良かったというわけでもなかった。その程度の付き合いといえばそれまでだけど、自分になにかできなかったのか、異変に気づくことはできなかったのかと、当時頭を抱えた。悲しかった。

 

そんなふうに思いながらも、後輩の彼が亡くなったころ、僕も同じようなことを考えていた。精神的に参っていて、存在意義がわからなくなっていた。

当時とあるうつ病経験者の体験記みたいな漫画をブックオフで買って読んだ。医療事務の完璧主義な女性の話で、無理がたたって仕事がうまくいかなくなり自殺するつもりで沖縄へ行ったが、そこでの出会いがよい方向に導いてくれて立ち直った。その話の締めくくりに

「今はうまくいっているから、つらくなったときに死ねばいいや」

みたいな台詞があった。僕はこれを読んで、少し気が楽になったのを覚えている。
(これで悪い気が去ったわけではないが)

 

これ以来、死ぬのは悪いことなのか、よくわからなくなった。
死にたくなった人間に「死ぬな」。
これがどれだけ無責任で頼りない言葉なのか、僕はわかっているつもりだ。

けれど自分の前に「死にたい」という人が現れたらなんと答えるだろう。きっと「死ぬな」って言ってしまうのだろう。打ち明けられたほうだって、同じくらい弱い。

 

昔は「自分なんかいなくなっても誰も悲しまない」なんて捻くれたことを思っていたけど、きっとそんなことはなくて、自分のことを大切に思ってくれている人がいるのも今では自覚しているし、自分の死が大なり小なり影響を与えて、最悪は同じ道に導いてしまうのだろう。

 

 

人ってのは脆い。ちょっとのことで躓いてしまう。
だからお互いの足に紐を括って、助け合い支えあってなんとかなんとかみんな立っている。

そんなときに1人だけまわりのこと考えずに勝手に立ち止まっちゃいけない。
立ち止まるなら、ちゃんと横に声をかけて、巻き込んでから休まなきゃいけない。時間がかかったっていいから、しがみつかなきゃいけない。

 

 思い直した。やっぱり、死んじゃいけない。

 死んじゃいけなく、なきゃいけないんだ。

 

 

 

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ハタコシ(@h2_hahaha